蝉丸神社・関蝉丸神社下社

大津市

地図

第8回関蝉丸芸能祭を観に行きました。

関蝉丸神社下社は京阪「上栄町」駅から徒歩5分のところにあります。

関蝉丸神社下社

御祭神

豊玉姫命(神武天皇の祖母、玉依姫命の姉)

蝉丸大神

豊玉姫命

海の神(綿津見神)の娘です。

邇邇芸命の息子の火遠理命(ほおりのみこと)こと山幸彦と結婚し、波限建鵜葺草不合命(なぎさたけうかやぶきあえずのみこと)を産みます。絶対覚えられない名前です。

その子が叔母の玉依姫命と結婚し、初代神武天皇が生まれます。

蝉丸

平安前期の歌人で、盲目ながら琵琶の名手の蝉丸は逢坂山に庵を結び、没後、歌舞音曲・芸能の祖神として崇められ、上・下両社へ合祀されました。

蝉丸の本名・血筋・生没年は不詳です。

第59代宇多天皇の皇子・敦実親王の雑色(蔵人の職位のひとつ)、第58代光孝天皇の皇子など諸説あります。

はっきりしたことは分かりませんが、菅原道真と同時代の人のようです。

百人一首

「これやこの 行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも 逢坂の関」で有名です。

大勢の人が行き交い、旅の途中の人、帰り道の人、見知る人も見知らぬ人も、それぞれの人生が交わる場所が逢坂の関という意味でしょうか。

文学や芸能の題材にも

勅撰和歌集に4首の歌が採用されています。

今昔物語、平家物語、能楽『蝉丸』、人形浄瑠璃『蝉丸』にも登場しています。

坊主めくりのイメージから、お爺さんの印象がありますが、蝉丸の能面は美少年でした。

盲目の為、目は伏せられていますが。

御朱印

御朱印は滋賀県神社庁で頂けます。

平日のみ

第8回関蝉丸神社芸能祭

神社の復興と地域の文化支援の為に行われています。

百人一首朗詠・能楽・雅楽・日本舞踊・落語・大津祭囃子・琵琶・ジャズ・吹奏楽など。

神社の境内いっぱいに椅子が用意され、大勢の観客が鑑賞されていました。

1日で色々な芸能に触れられるイベントです。

 

御鎮座1200年記念大祭

2022年10月30日に行われます。

この際にも歌舞音曲の奉納があります。

関蝉丸芸能祭は今年で終了し、記念大祭の後は、本殿などの修復に掛かるようです。

引き続きクラウドファンディングなども講じて、支援も募っていかれます。

本殿の屋根の痛みが激しく、シートに覆われていました。

飛び出し坊や①

滋賀県発祥と言われる、飛び出し坊や。色々なパターンがありますが、ここにもありました。

神社の参道を京阪電車が横切っているので、蝉丸さんの飛び出し坊やで注意喚起されていました。

琵琶を抱えた、可愛いお姿です。

関蝉丸神社上社

創建

弘仁13年(822年)小野岑守が創建したとされます。

逢坂山は京都と滋賀・琵琶湖の境にあり、古くから交通の要衝として栄えていました。その為、旅人の守護神である猿田彦命を上社に、海神の娘の豊玉姫命を下社にお祀りされたようです。

逢坂

日本書紀によれば、神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で押熊王(おしくまおう)とバッタリ出会った事に由来します。

押熊王は神功皇后の産んだ腹違いの幼い弟皇子(後の応神天皇)との皇位継承の争いに逢坂で敗れ、瀬田川に身を投げました。

遺体はその後、宇治川から発見されたそうです。

アクセス

関蝉丸神社下社から京阪電車沿いに大谷駅方面に歩いて10〜20分程なのですが、国道1号線の歩道が途中でなくなり、かなりの交通量なので、徒歩は諦め、上栄町駅から1駅、電車に乗りました。

電車の中から右手に赤い鳥居が見えてきます。

大谷駅で下車し、そちらから行けないかと思いましたが、こちらも歩道がなく、今回は断念しました。

御祭神

猿田彦命…天孫降臨の際に、邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内したことから、道の神・旅人の神とされるようになりました。

ランチ

大谷駅で下車すると、すぐ右手に猿丸神社がありますが、お参りの前に、神社のお隣の「かねよ」さんで昼食にしました。

かねよ

きんし丼 ¥2,530

身の締まったうなぎと、どっしりとしただし巻き玉子、肝吸いで、暑さも吹き飛びました。

日曜日ということもあり、満員でした。

かなり久しぶりのきんし丼、味も量も満足です。

お庭も新緑が綺麗です。

本館の個室はサービス料がかかるので、本館の前にあるレストランの方が手軽に食べられます。

飛び出し坊や②

かねよさんの駐車場前の飛び出し坊やは「うなぎ」になっていました。

標識のような駐車場の看板も「うなぎ」でした。

蝉丸神社

この奥の石段を少し登ったところに本殿があります。

 

御祭神

猿田彦命

蝉丸大神

御朱印

御朱印は三尾神社で頂けます。

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