地図
大津市錦織(にしこおり)にある宇佐八幡宮にお参りをし、近江神宮で流鏑馬神事を観覧しました。
宇佐八幡宮
10:10 近江神宮の横を流れる柳川に沿って登って行くと宇佐八幡宮下拝殿に到着しました。
本殿はここから400m登ったところなので、こちらから遥拝することもできます。
宇佐八幡宮には神のお使いの鳩があちこちにいます。
御祭神
応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)
第15代天皇で父は第14代仲哀天皇、母は神功皇后です。
皇后が妊娠中に実施した新羅遠征からの凱旋の帰途、筑紫の宇美で生まれました。
このブログでは関蝉丸神社のある逢坂の由来や宇治神社・宇治上神社の御祭神として登場しています。
御朱印
境内は無人でしたが、書き置きの御朱印が神門を入ったところにありました。
お賽銭箱に300円入れて、御朱印をいただきました。
創建
治暦元年(1065年)鎮守府将軍・源頼義が前九年の役を鎮圧後、錦織郷に館を構えて住み、八幡宮を創建する場所を探していたところ、神鳩が現れ、この地に導いたため、九州大分の宇佐宮を勧請し、建立しました。
950年以上、土地の氏神として、また、子供の守り神として、信仰されてきました。
この岩に神鳩が現れて、建立の地に導いたそうです。
頼義の長男、八幡太郎・義家の子孫には源頼朝・木曾義仲・足利氏・新田氏がいます。
三男、新羅三郎・義光の子孫には武田氏・小笠原氏がいます。流鏑馬には武田流と小笠原流があり、近江神宮の流鏑馬神事は武田流の方が披露されます。
新羅三郎・義光が元服をした新羅善神堂も徒歩で三十分程。京阪・大津市役所前から徒歩で7、8分位のところにあります。
霊泉「金殿井」
参道の中頃に天智天皇の病気を治したという、井戸がありました。
今も汲み取って、ご利益をいただくことが出来ます。
神門と本殿にも神鳩が
境内には狛犬もいますが、もちろん神鳩も。
本殿の両脇には奉納された神鳩が並んでいます。一対の鳩の内、一羽を奉納し、一羽は持ち帰り、神棚にお祀りするそうです。素朴で可愛いです。
整備された参道
割と急な坂道ですが、ほとんどが舗装され、灯籠が並び、長い参道にもかかわらず、綺麗に保たれています。
宇佐山城跡
宇佐山城
宇佐山(標高336m)の山頂に築かれた城郭です。
織田信長の命により、森可成(よしなり)=森蘭丸の父が元亀元年(1570年)に築城しましたが、同年浅井・朝倉との戦いで、討ち死にしました。
二代目城主の明智光秀が坂本に築城を命じられ、宇佐山城は廃城になりました。
石段を登ると、宇佐八幡宮の本殿ですが、右の道を登ると宇佐山城跡です。
現在
三の丸跡は「宇佐山テラス」という展望台になっています。
本丸跡にはテレビ塔が建っていますが石垣は残っています。
今日はかなり暑かったので、山頂まで登るのは断念しました。
秋になったら登ってみたいです。
ランチ
11:30
善庵
近江神宮の境内にある本格手打ち十割そばのお店です。
予約していなかったので、無理かなと思ったのですが、並ぶ事もなく、食べられました。
十割そば¥1,500+天ぷら(えび・野菜7種)¥500
左上から、そばつゆ、そば煎餅、お茶、小皿、岩塩、薬味です。
そばと天ぷらが来るまで、手作りのそば煎餅とお茶をいただきました。
国産最高級の福島県会津産の六分挽き(蕎麦の実の中心から4分の粉という意味)を使用。
その為、今まで食べてきた蕎麦より白いです。
つなぎ無しの、蕎麦粉100%と水だけで打っているので、十割そばといいます。
ツルッとした、なめらかな喉ごしで、まずは何も付けずに食べて、蕎麦の風味を味わいます。
次に岩塩やつゆを好みで付けますが、岩塩の方が蕎麦の味がよく分かるので、ほとんど塩でいただきました。
そば粉で揚げた天ぷらです。
店内の装飾も涼し気な落ち着いた雰囲気で、ゆっくりしたかったのですが、流鏑馬の時間が迫ってきたのと、お客さんも並んでおられたので、とろりとした、蕎麦湯を飲んで、店を出ました。蕎麦湯も岩塩で味付けしていただきました。
近江神宮
御祭神
第38代天智天皇
白村江の戦い
663年日本(倭国)と百済遺民の連合軍は唐・新羅連合軍に大敗します。
大津京
667年唐・新羅による日本侵攻を怖れた天智天皇は飛鳥から内陸の大津京へ都を移しました。
飛鳥の勢力と離れる為など、遷都の説は他にもあります。
しかし、天智天皇の崩御後に起きた壬申の乱の後、5年半で廃都となりました。
創建
昭和15年(1940年)。
割と新しい神社です。造営中の写真では全く何も無い風景でした。約80年後の現在は立派な森になっています。
御神徳
時の祖神、開運、導きの大神、文化・文芸・産業守護
御朱印
百人一首
小倉百人一首の一番が天智天皇の歌であることから、年間を通してかるたの大会などが催されています。
流鏑馬神事
毎年、6月第1日曜日に行われます。
境内では芸能の奉納が行われ、屋台も出ていました。
10:15〜11:30 流鏑馬教養講座(受講無料、定員60名)
12:30〜13:00 出陣〜鏑矢奉献の儀 (拝殿)一般非公開
13:00〜14:00 騎射・凱陣の式 (参道) 有料観覧席(500円・予約)
流鏑馬の起源
第29代欽明天皇が九州・豊前の国、宇佐において、国の内外の戦乱を治めるために、馬上から3個の的を射られ、天下泰平、五穀豊穣を祈願されたのが始まりとされています。
騎射
鳥居から本殿の方向に向かって、一の的から三の的まであります。
私は二の的の前に立ち見で観覧しました。
スピードが早いので、横からだと、ピントがなかなか合いませんでした。
的
初めは1尺8寸(約60cm)四方で、次にもう少し小さい木の板、次に丸い土器2枚を合わせ、中に五色の切り紙を入れた3寸(約10cm)の的です。
1尺8寸と木の的には、かなり当たっていましたが、さすがに3寸の的には、私の前では1回当たったのみでした。
しかし、猛スピードの馬上から、両手を手綱から外し、小さい的を射抜く技に圧倒されました。
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