大原三千院・寂光院

京都

地図

 

 

急に思い立って大原へ

アクセス

京都駅から京都バス17番系統 片道¥550だったので、地下鉄・バス1日乗車券¥1,100を購入しました。

時間があれば瑠璃光院にも寄りたかったのですが、家を出るのが遅かったので、今回は断念しました。

10:33京都駅を出発しました。

のんびりバス旅

鴨川と高野川に沿って八瀬に向かいます。

市街地を抜け、どんどん新緑がせまってきて、大原の山並みなど、バスに乗っているだけで、楽しいです。

ランチ

12:00 大原に到着。

徒歩10分程で、三千院です。

一福茶屋

道沿いにお土産物屋さんやお食事所が並んでいます。

昔ながらの茶店という佇まいの、こちらでランチにしました。

親子丼 ¥880

丼もお吸い物も、出汁が効いていて、柔らかい鶏肉とふんわり卵、大満足です。

香の物には青紅葉が添えられていました。

カフェ

どちらかと言えば、三千院の方が和風のお店、寂光院の方が今風のカフェもあるという感じです。

大原の駅から、三千院と寂光院の両方に行けるので、ランチや休憩のお茶もお好みで。

三千院

大原は古くから貴人や仏教修行者の隠棲の地でしたが、三千院という寺名になったのは明治になってからです。

新緑が見頃

一福茶屋さんの前の階段を登ると三千院です。

この日はほとんど晴れていたのですが、山沿いだからか、たまに小雨がちらついていました。

そのおかげで、青紅葉はいっそう、鮮やかです。

この上にもお店がたくさん並んでいます。

往生極楽院

久安4年(1148年)極楽往生を願い立てられました。

堂内いっぱいに阿弥陀三尊像が安置されています。

 

わらべ地蔵

苔の絨毯に寝そべるお地蔵さん。

杉苔を眺めていると、時間を忘れてしまいました。

紫陽花苑

金色不動堂観音堂を巡り、和心堂では梅のお茶が無料でふるまわれていました。

少し肌寒かったので、暖かいお茶がより美味しかったです。

6月上旬は紫陽花が色づき始めていました。

境内中で色々な植物が楽しめます。

御朱印

勝林院

13:40 

声明道場

長和2年(1013年)法儀声明念仏三昧の根本道場として建立されました。

大原問答

法然上人が招かれ、天台宗・高野山・東大寺のなどの名だたる僧侶から一昼夜にわたり、十二の難問に答えたと言われています。

成仏は難しいけれど、往生は易しい。と、念仏を唱えれば極楽へ往生でき、いかなる人間も救われると答えました。(かなり大雑把ですが)

本堂(阿弥陀堂)

少し前まで晴れていたのに、急に強い雨が降ってきたので、軒下で境内を眺めながら雨宿りをしました。

 

お陰で、軒下の欄間の見事な彫刻とお庭をゆっくり眺める事が出来ました。

大原の里

14:10 再び大原のバス停に戻り、今度は寂光院へ

徒歩15分程と表示がありましたが、ゆっくり写真を撮りながら歩いていたので、もう少しかかりました。

 

柴漬けの材料の赤紫蘇が栽培されていました。

建礼門院にも献上されたようです。

道沿いに、建礼門院ゆかりの泉です。

寂光院

14:30

天台宗の尼寺です。

聖徳太子により建立

推古2年(594年)、父・用明天皇の菩提を弔うために建立されました。

建礼門院

文治元年(1185年)平清盛の息女で高倉天皇・皇后、安徳天皇の母である、建礼門院は京都東山の長楽寺で出家後、入寺しました。

長楽寺は以前、特別拝観の際訪れました。

長楽寺・六角堂など

 

建礼門院の庵跡は木々に囲まれた、本当に小さな場所で、夜や冬の寂しさは想像以上のように思います。

大原御幸

平家物語では文治2年(1186年)の賀茂祭(葵祭)の過ぎた頃、後白河法皇が御幸されたそうです。

池水に 汀の桜 散りしきて 波の花こそ さかりなりけれ (後白河法皇)

建礼門院は入内の際に、後白河法皇の猶子(養女)になったので、特に関係が深かったのでしょうか。

平家滅亡後、鎌倉幕府成立の頃、二人はどうゆう会話をしたのか、気になります。

御朱印

建礼門院徳子 大原西陵

寂光院の隣に静かに埋葬されています。

感想

初めて大原を訪れましたが、まだまだ観たいところがあります。次回は違う季節にも来てみたいです。

何度訪れても、楽しめる場所だと思いました。

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