弘文天皇陵、新羅善神堂、新羅三郎の墓、法明院

大津市

地図①

全体的に近くにあるので、1時間程で回れます。

どちらからまわってもいいのですが、法明院・フェノロサの墓→新羅三郎の墓→

新羅善神堂→弘文天皇陵の順で一周出来ます。

ただ、法明院から新羅三郎の墓は山の中というか、自然遊歩道の中で、イノシシが土を掘り返したあともあり、複数で訪れた方が安心です。

新羅三郎の墓は山側の斜面を少し登ったところにあり、木製の案内表示があります。

一部、道がぬかるんでいる場所もあったりするので、歩きやすい靴がオススメです。

地図②

京阪石山坂本線「大津市役所前」駅 下車

市役所前の道を「京阪大津京」駅に向かって歩き、消防署前をすぎると、左手に登りの坂道があります。坂を登っていくと「FURIAN山ノ上迎賓館」という和風の結婚式場があります。その前から森に向かって砂利道を進むと「弘文天皇陵」と「新羅善神堂」があります。

そのまま坂道を登っていくと法明院です。

法明院

園城寺(三井寺)境内最北にある子院。

書院には円山応挙、池大雅らによる障壁画があるのですが、普段は一般公開されていません。

庭園は池泉回遊式庭園で、庭園は2段に分かれた構造になっています。

100円で拝観できます。

フェノロサの墓

海外屈指のボストン美術館日本美術コレクション。その礎を築いたフェノロサとビゲロウのお墓があります。

二人は明治十八年、フェノロサ来日七年目の32歳、ビゲロウは三年目の35歳の時、授戒し、仏教徒になっています。

庭園の上にお墓があります。

フェノロサとビゲロウが生涯尊敬し、戒を授かった敬徳阿闍梨のブロンズ像もあります。

このブロンズ像は阿闍梨の十三回忌にビゲロウが寄進したものです。

フェノロサ

父親がスペイン移民でセーラム生まれ。ハーバード大学で哲学を専攻し、1878年からお雇い外国教師として、当時一ツ橋にあった東京大学で、政治学・経済学・哲学を担当するかたわら、日本古画の蒐集と研究で名を知られています。

それだけでなく、西洋崇拝していた明治政府に日本美術の重要性を講演し、日本美術の衰退を防いでくれました。

ビゲロウ

 

フェノロサより3歳年長。ボストン名門の医学者の家系に生まれ、自らもハーバード大学医学部卒業後ヨーロッパに留学。しかし、パリでジャポニズムに感化されて以来日本美術の蒐集家に転向。

1882年(明治15年)に来日以来、8年間、終始フェノロサと行動を共にしました。

 

ビゲロウは美術品の蒐集だけでなく、日本美術の修復にも多額の寄付をしています。

お二人とも、日本美術の恩人です。

新羅三郎の墓

新羅三郎(源義光)

弓馬の術にたけ、笛の名手と言われています。

しかし、清和源氏の骨肉の争いはこの頃からあります。

兄の義家の死後、後継者争いから、甥の源義忠が暗殺されます。

次男の兄、賀茂次郎こと源義綱が疑われ、抵抗するも、息子5人は全員自害。自身は佐渡に配流となり、20年以上たった、天承二年(1132年)再び、棟梁を継いだ為義の追討を受け、自害しました。

しかし、後に義忠暗殺は冤罪であり、真犯人は源義光であると言われています。

この辺りの歴史小説を読んでも、ずっとこんな感じで、ドロドロしています。

また、武田信玄は義光の子孫になります。

新羅善神堂 (国宝)

園城寺(三井寺)の鎮守神である新羅明神を北院の鎮守として祀っています。

現在の建物は貞和3年(1347年)足利尊氏の寄進によるものです。

河内源氏二代目棟梁である源頼義の三男である源義光がここで元服したことにより、新羅三郎と称しました。

長男の源義家は京都府八幡市にある、石清水八幡宮で元服したため、八幡太朗。

次男の源義綱は京都の賀茂神社で元服したため、賀茂次郎と称しました。

弘文天皇陵

弘文天皇(大友皇子)

大化四年ー天武天皇元年(648-672)享年二十五歳

父は天智天皇(中大兄皇子)、妻は十市皇女(父・天武天皇、母・額田王)。

壬申の乱で叔父・大海人皇子(天武天皇)に敗れました。

先帝・天智天皇崩御から壬申の乱による敗死まで、その治世は約半年と短く、即位に関連する儀式が行えませんでした。そのため歴代天皇とみなされてはいませんでしたが、明治3年(1870年)になって弘文天皇と追号されました。

壬申の乱

天武天皇元年(672年)大海人皇子は、出家していた吉野宮(現在の奈良県吉野町)から出立し、挙兵しました。瀬田橋の戦いで、近江朝廷軍が大敗し、大友皇子は自決しました。

敗因は大友皇子は長男ではあるけれど、母が身分の低い側室であったため、後ろだてとなる勢力が弱かったように思います。また、大海人皇子(天智天皇)の人望が厚かったからかもしれません。天智天皇の強引な政治手腕が、周囲の反感をかっていたとも言われています。

この乱も叔父と甥の争いです。古代からずっと、骨肉の争いは続いているんですね。

額田王

美しい、万葉歌人。鏡王の娘と『日本書紀』にはあり、鏡王は近江国野洲郡、鏡里の豪族とも言われています。

天智天皇が天武天皇から額田王を奪ったとも言われていますが、歴史資料が少なく、謎の多い女性です。

とんかつ棹(たく)

営業時間 月曜日 11:30〜14:00

火曜日〜日曜日11:30〜14:00  17:30〜19:30

大津市役所前のお店です。

開店前に10名程並んでいる人気店です。

私はあっさりして女性にも人気という、熟成ひれかつ御膳1,650円(税込)を注文しました。

ジューシーで柔らかいお肉で、岩塩でいただきました。

ソースやドレッシングも美味しいですが、元々のお肉の旨みが感じられる、岩塩が一番でした。

※価格は2021年10月現在のものです。変更になっている場合がありますがご了承下さい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました