宇治・平等院と神社巡り

京都

地図

桜はまだ、つぼみでしたが、お天気も良く、神社仏閣巡りには最適の一日でした。

以前読んだ、高田崇史さんのQED『源氏の神霊』に登場する、源頼政のお墓がある平等院を中心に宇治観光をしてきました。

和楽

*残念ながら2023年3月現在こちらのお店は閉店されたようです。

JR宇治駅から徒歩5分の所にある、古民家『和楽』でのランチからスタートしました。

漆器のお膳に可愛い小鉢や豆皿に手の込んだお料理が種類も豊富に並んでいます。

味・価格ともに大満足です。

床の間の大輪の椿が綺麗です。

「彩り小鉢ランチ」¥1,200 + グラスワイン + 事前予約でプチデザート付き

10%OFF クーポンで合計¥1,575。

丁度いい、甘さのガトーショコラをデザートでいただきました。

落ち着いた空間で、ついつい長居を。

平等院

永承7年(1052年)関白・藤原頼通によって父・道長の別荘を寺院に改め創建されました。

そのため内部の装飾も螺鈿がほどこされていたりして、他の寺院より優美で豪華でした。

人数制限有り

お堂内は人数制限があり、時間の関係で、外からお参りしました。のんびり観光する場合は池の周りのベンチに座って、お庭を眺めながら、順番まちしても良さそうでした。

阿弥陀如来のお顔は池越しに、なんとか見えました。

鳳翔館

お堂の中には入りませんでしたが、宝物館で近くから、梵鐘・鳳凰・菩薩像を見ることが出来ました。

全体の施設が、新しくなっていて、見やすかったです。

源頼政の墓

頼政が鵺を退治して賜った領地、京都•亀岡「頼政塚」(胴体のみ埋葬)があります。

鵺退治にも付き添っていた、家来の猪早太が埋葬しました。

首は最後まで付き添っていた渡辺長七唱宇治川に沈めたため、所在不明とのことです。

源頼政

摂津源氏・大江山の酒呑童子退治で有名な源頼光の子孫。(源頼朝は河内源氏)

頼政も鵺退治で有名で、和歌にも精通した、文武両道の武将です。

鵺退治により、「獅子王」という刀も拝領しています。

以仁王の挙兵

頼政は当時77歳で、平清盛の推挙により清和源氏としては初めて従三位に叙せられていました。

高齢をおして、挙兵した理由は諸説あります。しかし結果として、以仁王と頼政の挙兵が平家滅亡につながっていきます。

今まで、この頃の歴史に詳しくなかったので、少しづつ、調べていきたいと思います。

御朱印

御朱印帳

1冊目の御朱印帳が終わりそうなので、今回新しいものを、平等院で購入しました。

 

今回も前回の金閣寺に続き、鳳凰です。¥1,500

平等院鳳凰堂のタイプと2種類あり、色も金と紺の各2色あり、悩みましたが、ゴールドの鳳凰に。

宇治神社

御祭神

菟道稚郎子命(宇遅能和紀郎子・うじのわきいらつこのみこと)が祀られています。

古事記によりますと、父・応神天皇は3人の息子の中の三男・菟道稚郎子を皇太子にします。しかし応神天皇の死後、長男・大山守命(おおやまもりのみこと)が反逆しますが、逆に三男に殺されます。

次男と三男が皇位を譲り合っているうちに、三男が死去し、次男の大雀命(おおさざきのみこと)が皇位につき仁徳天皇になります。

みかえり兎

正い道へと導いてくれる神の使いが至る所にいます。

道に迷っていた菟道稚郎子の道案内をしてくれたのがうさぎ🐇だそうです。

宇治上神社

日本最古の本殿です。

宇治神社と宇治上神社は明治になってから別々の神社になりましたが、以前は両社を合わせて、「宇治離宮明神」・「宇治離宮八幡宮」と呼ばれていました。

御祭神

菟道稚郎子・応神天皇・仁徳天皇が仲良く祀られています。

以前読んだ、竹田恒泰さんの『古事記 完全講義』の中では、応神天皇と菟道稚郎子のお母さんの恋愛話応神天皇と息子の仁徳天皇の恋愛バトルがわかりやすく書かれていて、面白かったです。

応神天皇は美人の菟道稚郎子のお母さんを大変愛していて、可愛い三男に後を継がせたかったようです。

御朱印

 

源氏物語ミュージアム

牛車ってかなり大きいです。これはかなり高位の貴族用でしょうけれど。

アニメの上映

源氏物語と作者や時代背景がわかりやすくアニメ化されていて、源氏物語が読みたくなりました。

漫画の「あさきゆめみし」しか読んでおらず、その内と思いつつ、現在に至っています。

体験コーナー

香木・源氏香・薫物・空薫物など、香りの体験や御簾ごしにどう見えるかなど体験できました。

女性からは見えず、外の男性からは、はっきり見える仕掛けにビックリです。

お琴などを弾いている娘をお婿さん候補に見せていたのでしょうか?

通圓

お天気もよく、かなり歩いたので、宇治橋のたもとの茶屋でソフトクリームをいただきました。

抹茶と桜のソフトクリーム ¥380

抹茶のほろ苦さと、桜の風味で、和菓子を食べているような感覚です。

初代 通圓

源頼政の家臣・古川右内が隠居し、通圓政久と名乗り、庵を結んだのが始まりです。政久頼政から賜ったものだそうです。

治承4年(1180年)以仁王と共に平家打倒に立ち上がった頼政のもとに参陣し、討ち死にしました。

平等院通圓のお墓もあるそうです。

日本の長寿企業第10位

平安時代末の永暦元年(1160年)創業の老舗です。

代々通圓の性を名乗って宇治橋の橋守(守護職)を務めながら、旅人にお茶を提供。一休・足利義政・豊臣秀吉・千利休・徳川家康などと関わりを持ち、現在も年中無休で、お店を営んでおられます。

狂言の『通圓』は一休が作った能の『頼政』のパロディーだそうです。

橋姫神社

御祭神は瀬織津姫橋姫です。

宇治橋西詰、あがた通りの大鳥居を縣神社に向けて歩くと左側にありました。

瀬織津姫

水神、祓い浄めの女神ですが、謎の多い神様です。

橋姫

橋を守る女神

外敵の侵入を防いでくれる守護神です。

宇治の橋姫

嵯峨天皇の御世(809年ー825年)、貴族の娘が「鬼になって妬ましい女を取り殺したい」と貴船神社に祈ったところ「姿を変えて宇治川に21日間浸れ」とお告げがありました。

女は髪を5つに分け、5本の角にし全身を赤くし金輪を逆さにして松明を3本つけて、頭に乗せ両端を燃やした松明を口にくわえ宇治川に21日間浸かり生きながら鬼になったそうです。

源頼光の四天王・渡邊綱(源綱)

嵯峨天皇の御世から約200年後。

一条戻橋で出会った若い女性を「夜道は危険なので」と送り届ける途中に女が鬼の姿に変わり、綱の髪をつかみ飛び立った為、名刀「髭切」で鬼の腕を断ち切ったという伝説があります。

縣神社

御祭神

木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。

その為か神紋は桜でした。

あがた祭り

毎年6月5日から6月6日の未明にかけて行われ、別名「暗夜の奇祭」などと呼ばれているそうです。

500軒を超える露店が出て、10万人を超える人出だそうです。

宇治観光

コンパクトに見所がまとまっていて、充実した1日でした。

美味しそうなレストランやお茶屋さんも沢山あり、食べる方も楽しめます。メインの通りを1歩入った所にある、カフェなど、可愛いお店もいっぱいでした。

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