地図
🍁11月第1週目 晴天 紅葉も始まり、散策に最適。
日中はシャツと薄手のカーディガン程度で十分でした。
「日本武尊の伝説」や「俵藤太と乙姫の物語」など歴史を楽しみなら、瀬田の唐橋を歩いて渡ってきました。
建部大社(たけべたいしゃ) 近江国一之宮
10:10
御祭神
本殿 日本武尊 (やまとたけるのみこと)御神徳 開運・出世・必勝・厄除・災難除
権殿 大己貴命 (おおなむちのみこと)御神徳 縁結び・商売繁盛・家内安全・病気平癒・醸造
御由緒
日本武尊の死後の景行天皇46年、父・景行天皇の望みにより日本武尊の妃・布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が御子・稲依別王(いなよりわけのみこ)とともに住んでいた神埼郡建部郷千草嶽(現在の東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山)の地に日本武尊を「建部大神」として祀ったのが創建とされます。
天武天皇白鳳四年(675年)に瀬田の地に遷座されました。
源頼朝が平治の乱に敗れ伊豆国に流される道中に、源氏の再興を祈願し、後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名になりました。
日本武尊
『古事記』によると日本武尊は父から恐れられ、疎まれ、熊襲征討・東国征討を次々と命じられます。そして東征の前に叔母の倭比売命を訪れ伊勢神宮にあった神剣「草那藝剣」と袋を授かります。
その後も、各地を平定していきますが、伊吹山(岐阜・滋賀県境)の神を討ち取りに向かい、神の怒りを買って、遂に32歳にして伊勢の能褒野で崩御しました。
建部大社は稲依別王(いなよりわけのみこ)の子孫の建部氏によって祀られ続けてきたそうです。
日本武尊には奥さんがたくさんいたようで、日本武尊の子供で第14代天皇の仲哀天皇の母は別の女性です。
遠征する先々に妻ありで、古事記や日本書紀も面白いです。
御朱印 300円
アクセス
京阪石山坂本線「唐橋前」駅下車 徒歩15分
※徒歩15分とありますが、瀬田の唐橋を渡るとすぐですし、橋のたもとの龍王宮秀郷社にも立ち寄れます。
古事記に記されている頃からの歴史を感じながら、唐橋を渡ると感慨深いものがあります。
JR石山駅南口
- 近江バス ②番乗り場 瀬田駅ゆき 建部大社前下車、野郷原ゆき 建部大社前下車
- 帝産バス ③番乗り場 龍谷大学行き 建部大社前下車、牧口ゆき 建部大社前下車
龍王宮秀郷社
アクセス 京阪石山坂本線「唐橋前」駅から徒歩10分
瀬田の唐橋には、平安時代、平将門の乱を鎮めた藤原秀郷(俵藤太)が、唐橋の川底にある竜宮の乙姫の願いで、三上山を7巻半するという大ムカデを弓矢で射殺し、退治したという伝説があり、その秀郷と乙姫を祀る神社です。
三井寺に今も残る『弁慶の引き摺り鐘』は百足退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘を秀郷が三井寺に寄進したと伝えられています。
御祭神
大神霊龍王
藤原秀郷命
御利益
水難避け、除災福徳
藤原秀郷(俵藤太)寛平三年(891年)?ー天徳二年(958年)?
父は下野国大掾(国司の三等官)の藤原村雄。母は同国の在地豪族と見られる鳥取豊俊の娘と伝えられています。
秀郷が平将門を討伐し、かれの子孫が鎮守府将軍を歴任したことにより、『俵藤太物語』などの説話の世界で秀郷の英雄伝説が作られていったとのことです。
瀬田の唐橋
11:27
京都の宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋の一つで、近江八景「瀬田の夕照」で名高い名橋。
全長223.7メートル。
古くから幾多の戦いが繰り広げられ、「唐橋を制するものは天下を制す」といわれました。
紅葉が始まっている中、川沿いの散策は気持ち良かったです。
御霊神社(鳥居川)
13:30
壬申の乱は天武天皇元年(672年)大海人皇子(天武天皇)が起こした内乱。瀬田橋の戦いで敗れた、大友皇子(弘文天皇)が自害した場所として、皇子の子である、大友与多王によって創建されたと、伝わっています。
住宅街の中に鎮守の森があり、その中に静かに祀られています。
アクセス 京阪石山坂本線「唐橋前」駅から南西300m
カフェレストラン アドリア
瀬田川沿いのお店で、食事をしながら、景色も楽しめました。
ハンバーグ・ランチ ¥1,508(税込)
カレーも美味しそうだったので、悩みましたが味・ボリューム共に満足です。
歩き疲れたら、お茶に立ち寄るのも良いと思います。
※価格は2021年11月現在のものです。変更になっている場合がありますがご了承下さい。
アクセス 京阪石山坂本線「唐橋前」駅から徒歩約4分
京阪石山坂本線「石山」駅から徒歩約14分
営業時間 火〜日、祝日、祝前日 11:00〜20:30(料理L.O, 20:00)
定休日 月曜日
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