地図
2度目の能楽鑑賞
1年ぶり、2度目の能楽鑑賞に行ってきました。
13:30開場
席は前から7列目の中央で、見やすかったです。
6割くらいの入場で、前回より若干少な目でした。
14:00開演
お話 林 和清 歌人
14:00〜14:30
今回も解説は歌人の林 和清さんでした。前回のお話も面白かったのですが、今回はより熱く語っておられました。
特に「三輪の妻問いの神話」で箸墓古墳の名前の由来になった説明から、箸墓古墳=卑弥呼の墓説に対する、疑問など。
また、30年後位にはもう少し、古墳の調査が進むのではないかという事など。
調査のみでは宮内庁から許可が降りないようですが、古墳の修復の際にあわせて調査することができるようで、後30年かけて、修復と調査がされていくのではないかとおっしゃていました。
14:30〜14:50 休憩
本編
14:50〜16:30
女・三輪明神 青木道喜
玄賓僧都 有松遼一
所の男 茂山忠三郎
大鼓 河村 大 太鼓 前川光範 小鼓 成田 達志 笛 森田保美
後見 宮本茂樹 大江信行
地譜 樹下千慧 田茂井廣道 河村和貴 味方 玄 松野浩行 味方 團
物語
シキミと閼伽の水(仏前に供える水)を持った女が、徳の高い僧・玄賓(げんぴん)のもとに夜毎、現れます。
ある夜、その女は秋も深く寒いので、衣を1枚いただきたいと告げます。玄賓は衣を与え、住まいを尋ねると、三輪山の麓、門に杉の木が立っていると答えました。
後日、玄賓が訪れると、御神木の杉の枝に与えた衣が掛かっていました。
やがて三輪の神が女の姿で現れ、神も衆生を救うために迷い、人と同じような苦しみを持つので、罪を救って欲しいと頼みます。そして「三輪の妻問いの神話」「天照大神の岩戸隠れの神話」を語り、「神楽」を舞い、夜明けと共に消えていきます。
神は衆生を救うため、高徳の玄賓によって、仏縁に結ばれたいと願って、訪ねてきたのでした。
大神神社(三輪明神) 大和国一宮
古代信仰の形を今に伝える、日本最古の神社の一つといわれています。
御祭神
主祭神 大物主神(おおものぬしのかみ)
配祀 大己貴神(おおなむちのかみ) =大国主命
少彦名神(すくなひこなのかみ)
*配祀=主祭神と縁故の深い神
日本書紀では大物主神=大国主命ですが、古事記では別の神となっています。
国造り
伊弉諾尊と伊弉冉尊が国産みをしていましたが、伊弉冉尊が死んでしまった為、国造りは中断していました。
それを素戔嗚尊の六世孫の大国主命が再開します。
しかし、共に国造りをしていた少彦名神が急に常世国へ行ってしまいます。
そこへ三輪山の神が現れ、「私を三輪山に祀れば国造りを手伝う」とのこと。
で、国造りは完成します。
出雲の国譲り
国造りが完成したので、天つ神は地上に統治者を降ろすことにし、色々ありましたが、大国主命とその息子達と話し合い、国譲りが完了します。
しかし、大和国の一宮に出雲の神様が祀られているのは、やはり、出雲の神様の怨霊を鎮めるためなんでしょうか。
拝殿
三輪山を御神体とする大神神社は本殿を造らず、神の山と拝殿の間には三ツ鳥居(明神型の鳥居を横一列に組み合わせた独特の形式)が建っています。
三輪の妻問い神話
第七代孝霊天皇皇女・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は大物主神の妻になりましたが、いつも夜にしか来ないので、姿を見る事ができませんでした。
姫はお姿が見たいので、朝までいて欲しいと頼みました。しかし、翌朝、明るくなって見たのは、美しい蛇の姿でした。姫が驚き叫んだため、大物主神は恥じて三輪山に帰ってしまいました。
姫はこれを後悔し、泣き崩れた拍子に、箸が隠部を突き絶命してしまいました。百襲姫が葬られた墓は箸墓と呼ばれています。
玄賓
天平6年(734年)ー 光仁9年(818年)
法相宗の僧で河内国の出身で俗姓は弓削氏です。
桓武・平城・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山の麓に隠棲したといわれています。
弓削氏
弓を製作する弓削部を統率した氏族で、物部氏の一族とされています。
弓削道鏡・文武天皇4年(700年)?ー宝亀3年(772年)より、30歳以上年下ですが、同じく河内出身で、法相宗の僧なので、政治的な事から距離を置いたのには、道鏡の事件も関係しているかもしれません。
衣掛けの杉
大神神社の拝殿へ続く石段の右手に、玄賓が与えた衣が掛かっていたと伝えられる神杉があるそうです。
玄賓庵
山岳仏教の寺として、三輪山の檜原谷にありましたが、明治初年の神仏分離により現在地・桜井市茅原に移されました。
能と神話と古代史
大神神社を訪れたのは9年ほど前でした。
その時は玄賓僧都の事は全く知らず、玄賓庵へも立ち寄りませんでした。
今回「三輪」を鑑賞することで、神話や歴史もよりわかりました。
これからも、出来るだけ色々な能を観たいと思います。
コメント