六角堂・八坂神社・長楽寺・崇徳天皇御廟・安井金毘羅宮

京都

地図

 

四条界隈を散策

四条烏丸から五条くらいまで、のんびり歩いて回りました。

六角堂(頂法寺)

9:30  到着

手入れの行き届いた綺麗な境内で、お天気も良く、気持ちがいいです。

参拝者はチラホラいらっしゃいます。

聖徳太子により創建

用明天皇2年(587年)四天王寺造営のための、木材を求めてこの地を訪れた太子が、沐浴の際に持っていた念持仏の如意輪観音を傍の木に掛けたけれど、仏が動かなくなりました。

その夜、夢に現れた仏から、この地で苦しむ人々を救いたいと告げられ、六角堂を建立したそうです。

六角堂の隣のビルのエレベーターの中からだと、六角堂を上から見ることができます。

生け花発祥の地

聖徳太子の命により、太子が身を清めた池のほとりに小野妹子が僧坊を建て、「池坊」と呼ばれるようになります。仏前に花を供えている中で、評判になり、「いけばな」が成立したとのことです。

六角堂の北側に池の跡があります。

親鸞堂

お堂の中には、比叡山から六角堂へ向かう姿と如意輪観音から夢のお告げを受けている姿の二体の像が安置されていました。

親鸞上人

承安3年(1173年)ー弘長2年(1263年)

父は皇太后宮大進・日野有範(藤原・北家)、母は清和源氏の八幡太郎義家の孫娘の「貴光女」または「吉光女」とされます。

幼少期は平家全盛の時代の為、長男ではありましたが、清和源氏の血を引いていて、暗殺の心配があるため、9歳で出家しました。

六角堂に参籠

9歳から20年間延暦寺で修行しましたが、29歳の時に百夜に渡り、六角堂に通い、聖徳太子から夢でお告げを受けます。

お告げに従い、法然を訪ね「専修念仏」の教えに触れ、入門しました。

唐崎社

六角堂の鎮守です。

御祭神は唐崎明神で滋賀県大津市の唐崎神社の神様です。

御朱印

京都文化博物館

10:00 ジブリ展も開催されていましたが、今回は鎌倉のみを観ました。

「鎌倉武士の物語と京都」

2022年4月2日〜5月29日

源義家像・鳥羽法皇像・源頼政像

常盤御前雪行図・源頼朝像・義経勝浦上陸図 など。

平家物語の登場人物の肖像画が多数展示されていました。

江戸時代以降に描かれたものも多く、平家物語の人気の高さが伺えます。

ランチ

魚肉菜 小松食堂

富小路通 錦小路 上ル高宮町

11:50に入店しましたが、数量限定の日替わり定食¥980は完売でした。

お隣の方が食べておられて、とても美味しそうでした。

そこで🍣天然本マグロ丼 レギュラー ¥1280にしました。

お味噌汁とユッケ付きで、途中からトロロをかけて、山かけにしました。

マグロがどっさりで、堪能しました。

サイズは小 ¥980、大 ¥1,580  です。

他にもお肉系のメニューもあります。

食後は錦市場のお店を覗きながら賀茂川方面に向かいます。

少し暑くなってきたので、商店街のアーケードの中は日除けになって、快適です。

八坂神社

13:00

久しぶりに来ましたが、修学旅行生など、コロナ前ほどでは無いですが、流石に観光客も多かったです。

御祭神

中御座 素戔嗚尊 (スサノオノミコト)

東御座 櫛稲田姫命 (クシイナダヒメノミコト)

西御座 八柱御子神 (ヤハシラノミコガミ)

御朱印

美御前社(うつくしごぜんしゃ)

宗像三女神が祀られていて、身も心も綺麗になるという御利益があります。

私も今回もお参りしましたが、老若男女に大人気で、写真を撮る余裕はありません。

疫神社(えきじんじゃ)・蘇民将来社

疫病除けの神様にコロナ退散をお願いしてきました。

7月31日の夏越祭には茅輪くぐりが行われます。

長楽寺

13:30

延暦24年(805年)桓武天皇の勅命により、伝教大師・最澄が創建しました。

八坂神社と大谷祖廟の間の参道の坂道を10分ほど登ったところにあります。

建礼門院寺宝展

2022年春の特別拝観

2022年4月1日〜5月10日

拝観料 ¥1,200 (お抹茶・お菓子付き)

安徳天皇が今わの際まで召されていた形見の直衣で作られた幡建礼門院の肖像画などが展示されていました。

建礼門院供養塔

 

文治元年(1185年)

三月  壇ノ浦で平家滅亡

五月  建礼門院、長楽寺で落飾、出家する

十月  建礼門院、長楽寺より大原の寂光院に移り住む

諸行無常・盛者必衰を感じました。

徳川昭訓(慶喜の弟)の墓

本堂から100m程登った所に、墓所がありました。

他にも水戸藩の攘夷派の志士の墓など、広い境内に点在しています。

以前は円山公園や大谷本廟も長楽寺の敷地だったそうです。

庭園

相阿弥作の庭園を眺めながら、お抹茶をいただきました。

相阿弥:室町時代の絵師・鑑定家・連歌師で庭園は他に青蓮院・龍安寺・慈照寺なども手がけています。

崇徳天皇御廟

14:30 祇園の花街の中にあります。

崇徳天皇の女御・阿波内侍の邸宅跡に造られた御廟です。

崇徳天皇

元永2年(1119年)ー長寛2年(1164年)

鳥羽天皇の第一皇子。母は藤原璋子(待賢門院)です。

しかし、父の鳥羽天皇からは鳥羽天皇の祖父・白河天皇の子であるとして、「叔父子」と呼ばれ、疎まれていました。

保元の乱で敗れ、讃岐に流罪になり、深い怨念を抱いて崩御されたと恐れられています。

安井金毘羅宮

天智天皇の御世(668〜671年)藤原鎌足が観音堂を創建しました。

崇徳天皇は阿波内侍とこの寺の藤を見物に度々訪れていたそうです。

阿波内侍は崇徳天皇から自筆の肖像画を賜り、崩御後、観音堂にお祀りしました。

治承元年(1177年)光明院観勝寺、元禄8年(1695年)蓮華光院、明治維新後「安井金毘羅宮」と改め、現在に至っています。

御祭神

崇徳天皇・大物主神・源頼政

御朱印

縁切り、縁結び碑

本殿に参拝後、願いを書いた「形代」を持って、碑の表から裏へ穴をくぐると、悪縁を切り、両縁を結ぶ事が出来るそうです。

着物姿の女性も、くぐられていました。

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