采女の怨霊 小余綾俊輔の不在講義   著者 高田崇史 新潮社

大津市

中秋の名月

2022年の中秋の名月は9月10日でした。

お天気が少し心配でしたが、綺麗な月を観ることが出来ました。

タイムリーにも最近図書館で借りた本も、中秋の名月に行われる「采女まつり」から始まります。

私がこのブログでご紹介した、大津の神社仏閣も登場するので、散策のお供にも最適です。

奈良・猿沢池周辺と大津

物語は壬申の乱采女に関する歴史ミステリーですが、登場人物が回ったコースは歴史好きの人の観光にぴったりです。

奈良の猿沢池の周辺とこの小説に出てくる大津の神社仏閣は何度か訪れましたが、この本を読んでからだと、また違った見方が出来るので、もう一度あらためて行きたくなりました。

采女(うねめ)とは

天皇や皇后の食事や身の回りの世話をする女官で、平安時代初頭までの官職ですが、地方豪族から朝廷への貢ぎ物でした。豪族の姉妹や娘ですが、容姿端麗で高い教養を備えていることが求められていました。年齢制限もありです。

その為、男性の憧れの対象でした。

藤原(中臣)鎌足も歓喜!

通常、天皇に仕える采女が他の者と恋に落ちる事は出来ませんでした。

しかし、鎌足天智天皇から安見児(やすみこという美人で有名な采女を下賜され、その感激を歌にし、万葉集に残っています。

「われはもや 安見児得たり皆人の 得難(えかて)にすといふ 安見児得たり」

あの、みんなの憧れの安見児ちゃんが僕のものに! あの麗しの安見児ちゃんが僕のものに!

という感じでしょうか?

采女神社

春日大社境外末社

主祭神 采女命

ある采女が「奈良の帝」に召されて寵愛を受けます。しかし一夜限りで、その後召し出しはありませんでした。それを嘆いた采女は、中秋の名月の夜、猿沢池に身を投げました

それを耳にした帝はたいそう嘆かれ、池の畔まで御幸され、その後、采女を丁寧に弔いました。

神社が180度回転

しかし、その采女の霊が自分の入水した猿沢池を「見るのは忍びない」と建立後一夜にして社殿がぐるりと180度回り、池に背を向けたという伝説まで残っています。

地図

 

采女まつり

前日の宵宮に続き、中秋の名月の日に執り行われる例祭です。稚児行列御所車が奈良の街を練り歩いた後、猿沢池龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の管弦船が浮かべられ、古代絵巻が繰り広げられます。

壬申の乱

飛鳥時代、第38代・天智天皇崩御後の天武元年または弘文2年(672年)6月に天智天皇皇子・大友と 天智の弟・大海人皇子による、皇位継承を巡って勃発した古代日本史上最大の内乱です。

石山寺・三井寺・弘文天皇陵・新羅善神堂・近江大津宮錦織遺跡

この小説に登場する、大津市の名所です。

天智天皇、天武天皇、弘文天皇、壬申の乱などに関係するだけでなく、源氏物語、源平の合戦、などにも関係し、見どころが多数あるので、調べれば調べるほど、楽しみも倍増です。

三井寺(園城寺) 妖怪鉄鼠(頼豪ねずみ)

弘文天皇陵、新羅善神堂、新羅三郎の墓、法明院

伊賀采女宅子(いがの うねめ やかこ)

伊賀国山田郡の郡司の娘です。

大友皇子天智天皇とこの伊賀采女宅子との間に生まれています

天智天皇の皇后は倭姫王(やまとひめのおおきみ)ですが、皇后との間に子供はいません。

倭姫王の父は天智天皇の異母兄・古人大兄皇子(母は蘇我の馬子の娘)で、645年6月乙巳の変で蘇我宗家が滅び、9月に古人大兄皇子は謀反の疑いで処刑されます。

この辺りもドロドロです。

天武天皇の年齢

天武天皇は生まれ年と没年齢が不明です。

いくつか、年齢が記載されている書物がありますが、それらから計算すると、天武天皇は天智天皇の弟なのに、どれも天智天皇より年上になってしまうのです。

そのことから、この小説では色々な説が紹介されていて、妄想が膨らみます。

歴史ミステリー

采女神社に祀られている采女を寵愛した天皇は誰なのか、なぜ、長年この様に盛大に祀られるのか?

大友皇子の母は本当に伊賀采女なのか?

天武天皇の出生の謎

など、古代は文献などの資料が少ないので、今も多くの謎があります。この本でも、残っている資料を重ね合わせて、推理されていて、とても興味深いです。

まず、来年の中秋の名月の日には、采女まつりを観てみたいです。

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