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2023年1月以来の能楽鑑賞に行ってきました。
今回は藤原定家と式子内親王の愛の物語です。
しかし、穏やかな愛ではなく、平安末期の複雑な政争に巻き込まれ、ドロドロな内容です。
大津市伝統芸能会館
大津市園城寺町246-24
京阪電車石坂線「大津市役所前」駅から南へ約400m
開場13:30
開演14:00
入場料 前売り S席¥5,500 A席¥5,000(当日 各¥500増)
お話
歌人 林 和清
30分間時代背景など説明していただけました。
式子内親王(しょくしないしんのう)
有職読みでしょくしともしきしとも読みます。
本来の名前はのりこと読むと考えられています。
久安5年(1149)〜建仁元年(1201)
父は第77代後白河天皇で譲位後は34年にわたって院政を行い、平清盛や源頼朝とも対立や軋轢もありながら公武関係の枠組みを作りました。
母は藤原季成の娘・成子。この人は4人娘を産んでいますが、4人とも伊勢か賀茂の斎王になっています。
式子内親王は10歳から21歳で病で退下する(1169年)まで賀茂斎院として仕えました。
その為、生涯結婚は許されませんでした。
藤原定家
応保2年(1162)〜仁治2年(1241)
定家は式子内親王の13歳年下です。
藤原俊成の二男で『小倉百人一首』の撰者で18歳から74歳までの56年の日記『明月記』など多くの著作を残しました。
休憩
14:30
本編まで20分間休憩になります。
能 定家
14:50
本編
禅竹の薬草喩品 第2回
女・式子内親王 青木道喜
従僧 中村 宣成
旅の僧 福王 知登
従僧 喜多 雅人
所の男 茂山 茂
金春禅竹 = 世阿弥の娘婿
前半
ポスターのような華やかな衣装を着た美しい若い女性が登場し、旅の僧に式子と定家の悲恋を語り、「定家葛」という蔦葛に形も見えない程に覆い尽くされた、式子の墓である古い石塔に案内します。
女は自らが式子内親王であると明かし、執心からの解放を願って石塔に消えました。
後半
旅の僧たちは所の男から定家と式子の恋物語を詳しく聞き、石塔の前で供養しました。すると式子内親王が姿を現しました。
憔悴した式子のいたわしい姿を見た僧が、薬草喩品を読誦すると、その効力によって石塔を覆っていた定家葛が解けました。こうして執心から解放された式子は、恥じらいつつも報恩の舞を披露します。
しかし老いさらばえた姿を晒すより、定家との永遠の愛の苦しみに生き続けたいと、石塔に戻りました。
そして石塔には再び定家葛が這い纏うのでした。
法華経・薬草喩品(やくそうゆほん)
仏の教えは全世界全ての人々に平等に仏となす教えがそそがれていくという意味です。
定家と式子内親王
近江神宮
久安5年(1149) 式子内親王誕生
平治元年(1159) 賀茂斎院に卜定
応保2年(1162) 定家誕生
嘉応元年(1169) 賀茂斎院を退下
治承4年(1180) 式子内親王の同母弟・以仁王が平氏打倒の挙兵をし、敗死
治承5年(1181) 定家がはじめて式子内親王を訪れる。以後、折に触れ内親王の元へ伺候。『明月記』にも内親王に関する記載がしばしば登場
寿永4年(1185) 平氏滅亡
建久3年(1192) 後白河院、崩御
建仁元年(1201) 式子内親王 薨去(享年53)
承久3年(1221) 承久の乱 後鳥羽上皇 配流
嘉禎元年(1235) 宇都宮頼綱の依頼により古来の歌人の和歌を選び書き送る。『小倉百人一首』
仁治2年(1241) 定家薨去(享年80)
和歌
式子内親王は定家の父・藤原俊成に師事した、この時代の代表的な女流歌人です。
金春禅竹は定家と式子内親王の和歌をモチーフに物語を構成していますが、2人が本当に深く愛し合っていたかは不明です。
2025年度 公演予定
2025年度の公演予定のパンフレットをもらいました、
以前訪れた神社仏閣に関する能の公演があるので、出来るだけ観に行きたいです。
第1回 特別企画 近江の能 4月12日(土) 能 蝉丸
登場人物
蝉丸
第2回 7月6日(日) 能 大原御幸
登場人物
建礼門院・後白河法皇
第3回 12月6日(土) 能 松風
第4回 1月10日(土) 能 絵馬
登場人物
天照大神・天鈿女命・手力雄命
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