竹生島・宝厳寺 / 堅田・浮御堂

大津市

地図①

2023年7月以来に竹生島を訪れました。

竹生島 宝厳寺・都久夫須麻神社

近江今津駅

10:35

湖西線が定時に到着し、なんとか間に合いました。

港の手前で職員の方が、私達が乗船することを改札に連絡して下さいました。

感謝です。

今津港

10:45

琵琶湖汽船 今津から竹生島 往復 ¥3、000

* ICOCAだと1割引でした。

皆さん、既に乗船済みで、最後に小走りで乗り込みました。

湖北の山頂にはまだ雪が残っています。

竹生島

長浜市の沖合にある、周囲2kmの琵琶湖で沖島に次ぐ2番目に大きな島です。

11:10

25分のクルーズです。

晴天に恵まれ、青い湖面も穏やかで、光にキラキラ輝いていました。

竹生島滞在は80分です。(乗船時間により、75分の場合あり)

拝観料¥600

まず、祈りの階段165段を登ります。

まだまだ登ります。

もう少し暖かくなれば花々が咲くと思いますが、階段の制覇には少し寒いぐらいが丁度良いです。

竹生島巖金山(がんこんざん) 宝厳寺

竹生島には古来から浅井姫命(あざいひめのみこと)が鎮座し、水神として崇められてきました。

本堂(弁財天堂)

「日本三弁天」の筆頭に挙げられる竹生島の信仰の中心です。

左手奥に三龍堂があります。

創建

724年(神亀1年)聖武天皇の勅命により、僧行基が弁財天像を造り祀りました。

平安時代には天台の僧の研学道場として栄え、次第に仏教色を濃くしていきます。

水神でもある島の神は、本地としての弁財天と習合し、また湖中にあることから、観音の住むという海中にそびえる補陀落山に擬せられ、西国三十三所観音霊場の札所として信仰をあつめてきました。

御朱印

三重塔

江戸時代初期に落雷により消失しましたが、2000年(平成12年)に再建されました。

宝物殿

多くの重要文化財の寺宝を有していて、その一部が展示されています。

古代の豪族、戦国大名などが先勝祈願に訪れ、天皇の行幸などもあり、経典や仏像など多数奉納されています。

唐門(国宝)

秀吉が建てた大阪城極楽橋の一部で京都東山の豊国廟極楽門に移築されたものを、豊臣秀頼の命により竹生島に渡りました。

火災により、何度も焼失しましたが、1602年(慶長7年)再建されました。

2020年に保存修理が完了し、色鮮やかな姿を取り戻しています。

観音堂(重文)

唐門を抜けると観音堂につながっています。

西国三十三所観音霊場 30番札所

舟廊下(重文)

豊臣秀吉の御座船「日本丸」の舟櫓を利用して造られたものです。

観音堂から都久夫須麻神社本殿までをつなぐ30m程の渡り廊下です。

観音堂と舟回廊

都久夫須麻神社本殿(国宝)

伏見城内の「日暮御殿」を神殿として寄進されたものです。

御祭神

市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)

宇賀福神

浅井比売命

龍神

桃山時代の代表的な国宝建築物で、狩野永徳・光信筆の天井絵・襖絵、高台寺蒔絵の柱など華麗な装飾がされています。

本殿の前には「日本三弁天」の江ノ島・厳島神社も祀られています。

竜神拝所

 

かわらけ投げ

かわらけに願い事を書き、投げたかわらけが鳥居を潜れば願いが成就するとか。

竹生島港

12:20

少し余裕を持って港に戻れました。

弁天あげもち

港の前のお土産物屋さんには近江牛の肉まんやアイスクリームなども販売されています。

弁天あげもち¥300

昼食前ですが、我慢できず食べてしまいました。

ちょうど良いボリュームです。

竹生島港 → 今津港

12:30

ランチ

13:05

ひょうたん亭

今津港の前にある、手打ちそばのお店です。

うなぎの天ぷら湯葉などが入っています。

周航そば¥1,150 + 鯖寿司(2切れ)¥350

鯖寿司は普通のものと焼き鯖寿司があるので、両方注文し、友人とシェアしました。

鯖寿司を買って帰りたかったのですが、売り切れてしまいました。

価格は2023年のままのようでした。

地図②

 

14:10

JR湖西線 近江今津駅から堅田に向かいました。

堅田駅

14:38

駅前の観光案内所で地図をもらい散策へ。

15:15

湖岸に着くと浮御堂が見えました。

都久夫須麻神社

伊豆神社の境外摂社です。

御祭神は弁財天です。

臨済宗 祥瑞寺

15:15

一休宗純

一休さんは青年期1415年頃、このお寺で修行されていました。

その為、この周辺の飛び出し坊やは全て一休さんでした。

一休さんの木像などが安置されていますが、拝観には予約が必要なので、今回はお庭のみ見学しました。

本福寺 浄土真宗 本願寺派

浄土真宗中興の祖・蓮如上人の布教拠点のお寺です。

比叡山延暦寺と対立し迫害を受けていた蓮如は数年堅田に滞在していました。

堅田大責

応仁2年(1468年)延暦寺衆人が堅田を襲撃し、焼け野原にないました。

光徳寺

堅田大責の後、比叡山に近い堅田を諦めた蓮如は越前に向かい、宗祖親鸞の木像を三井寺に預けました。

その後京都に戻った蓮如は、三井寺から人の首二つを差し出すなら木像を返そうと言われます。

殉教者 堅田源兵衛

その話を聞いた堅田の漁師・源兵衛は父を説得し、自分の首をはねてもらう。源兵衛の父は息子の首を三井寺に持って行き、自分の首もはねてくれと言いました。

驚いた三井寺は親鸞の木像を返しました。

その後、源兵衛の父は巡礼の旅に出て、旅先で亡くなりました。

光徳寺にはその首が祀られています。

湖族の郷資料館

15:30

入館料¥200

堅田の歴史

交通と水運の要衝として繁栄した歴史が展示されています。

平安時代

1090年 京都下鴨神社の御厨(みくりや)が置かれる。

また、比叡山延暦寺の荘園になりました。

中世

恵まれた地形と両寺社の勢力を背景に近江最大の自治都市を築きました。

御厨とは

古代・中世を通じて存在した、皇室・院宮、王臣家や神社の所領です。

神社の御厨は伊勢二宮と賀茂社に限られていました。

「御膳料」

毎日鮮魚を進上する代わりに国司によって所役を免除されました。

現在も葵祭の前には行列を作って下鴨神社に魚を献上しているそうです。

湖族とは

琵琶湖の通行税を徴収する権利を下鴨神社から与えられていた為、積荷の一割を通行税として取り、払わない場合は力ずくで、全て没収していたそうです。

堅田衆が登場した小説で湖賊と表現されたのですが、現在は湖に変えて使用しているそうです。

足利義政の花の御所用の木材運搬の通行税が支払われず、積荷を奪った為、後に報復にあい、町を焼き尽くされたそうです。

そういう解説を施設の方がしてくださいました。

伊豆神社

15:50

堅田の総鎮守です。

御祭神

大山祗命(おおやまずみのみこと)

山の神様です。

 

浮御堂 (海門山 満月寺) 臨済宗 大徳寺派

16:15

創建

平安時代中期の長徳年間(995〜999年)延暦寺の源信(恵信)が湖上交通の安全・衆生済度・湖の魚鳥の冥福を願い、自ら千体の阿弥陀仏を刻み建立しました。

現在の浮御堂は昭和12年の再建ですが、堂内には阿弥陀仏一千体が安置されています。

初めは天台宗に属していましたが、江戸時代に禅宗寺院として復興しました。

御朱印

近江八景「堅田落雁」

鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂        芭蕉

この日はかなりの強風で、お堂を1周しましたが、琵琶湖に落ちそうで怖かったです。

浮御堂から琵琶湖大橋が綺麗でした。

琵琶湖大橋までの間にも神社仏閣が点在していて、道の駅などもありますが、今回は訪れることができませんでした。

堅田内湖(ないこ)

農業用水として利用されています。

大津市の内湖(ラグーン)は堅田以外では近江舞子内湖があるそうです。

内湖大橋

内湖の中の柵は淡水真珠の養殖をされているそうです。

堅田 平和堂(アル・プラザ)

堅田駅前の平和堂(アル・プラザ)に寄りました。

mister Donut

17:10

今日も1万5千歩以上歩いて小腹が空いたので、休憩しました。

堅田には有名な地酒のお店やクラフトビールのお店・カフェもありましたが、本日は食糧品コーナーでお弁当を購入して帰宅しました。

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